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執筆:鯨井 久志(精神科医/翻訳者/書評家)
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昔から何かと“筋”を通したいほうで、観てもいない映画や読んでもいない本を周りの評判に流されて悪く言ったり、逆によく知りもせず褒めてみたりするのは、どうも許せない質である。要するに「自分の目で確かめたい」派の人間で、必ずしも一貫できるほど強くはないものの、何か意見を言うのだとしたら、できるだけ自ら触れたうえでないといかんなあと思うのである。
そういうわけで、依存症病棟に初めて配属されたとき、まずしたのは過去のジャンキー文学を読むことだった。ウィリアム・バロウズやアンリ・ミショーなど、自らの薬物・幻覚剤体験を文学的に記述した作家は数多くいる。日本だと、坂口安吾もその手のものを書いている。
酒やたばこならコンビニに行って買うなりすれば事が済むが、現在の日本では禁止されている薬物ではそうはいかない。そんななかで“筋”を通すためにできることといったら、本を通して実際の服用体験に触れてみることだったのだ。
そんなジャンキー文学の中から、今回はフィリップ・K・ディック(1928~1982)の『スキャナー・ダークリー』(ハヤカワ文庫SF)を紹介する。
ディックといえば、映画化作品も多数ある(リドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』の原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の作者である)高名なSF作家だが、彼自身薬物の使用歴が長くあり、薬物依存の治療施設に入ったこともある。作風も現実と幻覚の境が曖昧になり、現実が崩壊するかのような感覚(俗に「ディック感覚」と呼ばれる)が特徴的で、精神医学の観点から見ても興味深い作家である。
とはいえ今回紹介する『スキャナー・ダークリー』は、その「ディック感覚」には乏しい。何なら、ほとんどSFですらない。SF的なガジェットは登場するものの、それが大きく印象に残るかと言われれば、決してそうではない。だからこそ、本作はディック作品の中でも特異な立ち位置を占め、独特の読後感を残す。
『スキャナー・ダークリー』(ハヤカワ文庫SF)
フィリップ・K・ディック(著)、浅倉 久志(訳)、早川書房、2005
(A Scanner Darkly by Philip K. Dick, 1977)
舞台は近未来の南カリフォルニア。主人公ボブ・アークターは、物質Dという薬物の依存者で、二人の薬物常用者と共同生活を営んでいる。だがそれは表向きの姿にすぎず、実際にはフレッドという暗号名で呼ばれる麻薬捜査官である。要するに薬物の覆面捜査官として、実際の依存者のグループに潜入捜査しているというわけだ。
ところがある日、フレッドは「ボブ・アークターを観察してくれ」という命令を受ける。つまり、自分で自分を監視せよと言われたのだ。
フレッドは監視映像の中のアークターを見ながら、次第に自分が何者なのかわからなくなっていく。ここで他のディック作品なら、例の「ディック感覚」が訪れ、読者は現実と妄想の境がうつろになった読書経験を楽しむことになる。だが、本作はちがう。
本作で描かれるのは、薬物依存者たちのつつましやかな日常だ。副作用に苦しみ、追加の薬物を買うための金の調達に苦労し、珍妙な幻覚を見ながらも、なんやかんやで暮らしている、そんな日常。
だがそんな日常も、アークターの物質Dへの中毒度が増すとともに終焉を迎え、アークターは治療施設に収容される。アークターはもう自分が誰かもわからなくなっているが、それこそが捜査組織の狙いであり、物質Dの生産工場と化していた治療施設への囮として捜査官を仕立て上げることが真の目的だった……。だが、アークターにはもはやそれを知るすべはない。
現実には薬物もフィクションも宗教もある。逃避先がある。実際、ディックは薬物を使っていたし、一時期はFBIに付け回されているという妄想を抱いていたし、晩年には珍妙な架空神学まで創ってしまった(その一端は別作品『ヴァリス』で明かされている)。だが、『スキャナー・ダークリー』作中のアークターに救いはない。神も幻覚も何もなく、ただひたすらに利用され、ボロ雑巾のようになってしまった落伍者が描かれる。
あまりにむごい、と思う。物悲しいこんな小説をなぜ書いたのか、とすら思う。
ディック自身は巻末の「著者覚え書き」で、薬物乱用を病気ではなく「ひとつの決断」ないし「判断ミス」だと書いている。そして同時に、登場人物たちの受けた罰は、その判断ミスに対して「あまりにも重すぎた」と繰り返す。そして「この小説にはなんの教訓もない」と宣言する。
本作に登場する薬物依存者たちにはモデルがおり、そのほとんどが若くして死んでしまったか、重篤な病にかかってしまったという。そして巻末にはモデルとなった友人たちの名と、彼らがたどった死や障害が列挙されている。
ディックは、薬物依存の現実を読者に突きつけ、「薬物を使ってはいけませんよ」という警鐘を鳴らすために、本作を書いたのではない。依存者たちを愚かな選択の見本として断罪しようとしたのでもない。
一緒に笑い合い、くだらない話をし、たわいない日常をともにした友人たちの思い出を書き残そうとしたのだろう。そしてその後に死んだり、回復不能な障害を負ったりした仲間たちの声を、消えてしまう前に書き残そうとしたのであろう。小説全体が、彼らの名を刻むための墓碑だったと言ってもいいだろう。だからこそ、本作はディック作品にしては特異的に、非現実へ逃避しない。ゆえに、むごく、物悲しい。
薬物依存にどのようなスタンスを取るかは自由だ。犯罪者として糾弾するのもいいだろう。医療者として、治療につなげなくてはいけないと思うのも、またいいだろう。その中で厳罰化をとるか、はたまたハームリダクション的なスタンスを取るか、あるいは大麻のように全面自由化を主張するかも自由だ。
だが結局、医療者として薬物依存に向き合うことは、薬物に依存する個人と向き合わないことには始まらない。そして依存するには各個人の事情があり、それは決して一般化できないものだ。できるわけもないし、してはいけないものだ。当事者でない医療者にまずできることは、去っていった友人たちをそっと弔い悲しみに暮れる生存者たちに寄り添い、彼らの声を聞いていくことしかない。そこから始めなくては、何もかもが砂上の楼閣にしかなり得ない。そういうわけで、まずは本作を読んで、その声の存在を知るところから始めよう。
(次回につづく)
※2026年10月公開
鯨井 久志(くじらい ひさし)
1996年大阪府生まれ。精神科医。日本SF作家クラブ所属。海外SF・海外文学を中心に数多くの書評を執筆。2023年にはジョン・スラデックの『チク・タク・チク・タク…』の翻訳を手がけ、同書は早川書房による「SFが読みたい! 2024年版」にて海外部門1位となった。2025年にはケイトリン・R・キアナン『溺れる少女』の訳書を河出書房新社より刊行。編訳したジェフ・ライマン『オムニセクシュアル ジェフ・ライマン傑作選』(鯨井久志 編訳/中村融・古沢嘉通 訳)が2026年9月に国書刊行会より刊行。趣味はお笑いライブ鑑賞。
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