第1回 新米病院長奮闘記 
赤井 裕輝〔東北医科薬科大学若林病院 病院長 / 東北医科薬科大学医学部内科学第二(糖尿病代謝内科)教室 特任教授〕

※本記事は『病院』83巻1号(2024年1月号)pp62-63を転載(一部改変)しております。病院経営の専門誌『病院』は“よい病院はどうあるべきかを研究する”雑誌です。ぜひ,併せてお読みください!

 

私は昭和54(1979)年に弘前大学を卒業後,初期研修を経て,後藤由夫教授率いる東北大学第三内科(現 糖尿病代謝・内分泌内科,消化器内科)に入局し,豊田隆謙先生(現 名誉教授)にご指導いただきました。この間,愛知県岡崎市の国立生理学研究所の受託大学院生として,矢内原昇教授のもとで消化管ホルモン・インクレチンを勉強しました。その後,米国国立衛生研究所(NIH)に2年半留学し,帰国後は東北大学第三内科で助手を務めた後,仙台厚生病院に新たに糖尿病内科を立ち上げ13年間勤務,さらに恩師豊田先生が病院長の東北労災病院に異動し9年間勤務,そこで副院長,東北大学臨床教授を務めました。

 

勤務医経験の長い叩き上げの糖尿病専門医で,糖尿病性腎症の寛解を目指す治療法の開発が私のライフワークとなっていました。その後,東北医科薬科大学に新設された医学部に病院教授として着任し,そして内科学第二(糖尿病代謝内科)教室の初代教授に就任し大学の基礎作りに参画しました。糖尿病,肥満,脂質異常症など代謝疾患の診療を担当し,学生教育,若手医師の育成にも努めました。医学書院の『今日の治療指針』には何度か執筆機会をいただき,また人気の専門誌『糖尿病診療マスター』(現在は休刊)の編集委員も務めさせていただきました。楽しい思い出です。

 

東北医科薬科大学若林病院(以下,当院)は昭和54年,NTTの前身である日本電信電話公社により東北逓信病院として現在地に開設されました。その後NTT東日本東北病院となり,東日本大震災時も含め長く地域の健康を支えました。そして平成28(2016)年,薬剤師養成73年の伝統をもつ東北薬科大学に,37年ぶりの医学部が開設され,当院は東北医科薬科大学2つ目の附属病院となりました。令和4(2022)年3月には手塩にかけた初めての医学部卒業生90名が各地に旅立ち,令和5(2023)年春,医学部2期生94名が卒業。国家試験合格率は99.7%で全国4位と,誇らしく感じました。

 

東日本大震災では,地震・大津波と原発事故により,宮城・岩手・福島3県の医療も未曾有の大被害を被りました。元より医師数の少ない東北地方でしたので,事態は深刻でした。医療の復興を掲げて開設された東北医科薬科大学医学部は,東北地方に定着し地域医療に貢献する医師の養成を使命としています。当院は学生の実習のみならず,臨床研修医,専攻医の研修施設です。地域のクリニックと連携し,身を以て地域密着の医療を実践することで使命を果たそうとしています。

 

■ コロナ禍に見舞われるなかで病院長に─しかし想像と違って… 
医学部発足後の数年間,東北医科薬科大学病院本院(以下,本院)の機能を充足させるため,当院は病床を本院に移管するなど,縁の下の力持ちに徹しましたが,その間にマンパワーが衰え,病院機能がやせ細っていきました。いよいよ病院の体力を回復させ機能を取り戻そうとするその矢先,コロナ禍に突入。本院のコロナ病棟開設を支えるため,当院は1病棟を閉鎖し,看護師派遣を担うなど,再び縁の下の任務を担いました。私が本院から病院長として着任したのは,コロナ禍の2年が経過した頃です。社会全体が苦難に見舞われていました。本院を支えることばかりの当院は,さぞ沈鬱な雰囲気だろうと想像していました。ところが違ったのです。職員の皆さんは,阿部達也前病院長のもと,明るさを失わず,医療職としての使命に燃えていました。医師,看護師が減員となり現場は忙しかったにもかかわらず,院内感染によるクラスターを一度も出さずに乗り切ったのです。何とすばらしいことでしょう。各職員は「当たり前のこと」という顔でしたが,誇らしい成果であることを,私は職員に伝えています。

 

その後当院は,令和4年夏に看護師が戻って閉鎖していた病棟の再開を果たし,復興体制に入りました。まず県の指定を受けて社会貢献すべく,「新型コロナウイルス感染症患者等入院受入医療機関」(以下,受け入れ病院)となる体制を整えました。さすがに痩せ細った病院には荷が重いと,心配する職員は少なくありませんでしたが,同規模の受け入れ病院から情報をいただき,運営のコツを学ぶことでスタッフの不安解消に努め,受け入れ病院の仲間入りを果たしました。新型コロナウイルスの5類感染症移行後も確保即応病床を維持し,輪番制をこなしています。

 

私の着任時に開設された総合診療科は,メンバーのアクティビティの高さで研修医,専攻医の人気を集めています。医師は同僚医師が多ければ働きやすくなります。経験症例数が増えることで研修の実も上がり,若手の人気がさらに高まりそうです。当院は好循環に入ったように思われます。

 

■ これからの課題 
以前,労働者健康安全機構の東北労災病院に勤務した際に,事務局職員と共に,機構の病院の収支と各病院のベッド100床当たり医師数の関連を検討したことがありました。結果は医師数が増えるほど病院収支が上がっていたのです。同じ機構の運営する病院ですから設備に大差なく,医療スタッフ,事務職員にも差はありませんが,医師数のみ病院間で大きく異なります。病院間で生じる大きな収支差の要因は,医師数でした。収支改善には,医師が勤務したい病院への変身が求められるわけです。

 

わが国の人口当たり医師数は経済協力開発機構(OECD)平均値を大きく下回っています。全国医学部の卒業生総数もOECD最下位,これがわが国の現状です。少ない医師が猛烈な超過勤務によって世界レベル上位の医療を実現してきました。医師の働き方改革真っ直中ですが,改革に成功した病院が医師を集めそうです。医師の抜けた診療科の補充は容易ではありませんが,どこの科であっても新メンバーに得意分野で最高のパフォーマンスを発揮してもらえるよう,病院体制をシフトさせることが現実的です。当院では現在,新メンバーが加わった総合診療科を中心に,救急受け入れシステムの充実を図っています。卒業生が一人前になるまで医師確保困難が続く本学ですので,若手医師がより多くの経験を積み,実力をつけられる体制作りが最重要課題となりました。皆の工夫で作り上げたい。そして楽しく使命を果たしたい。そんな思いで毎朝出勤しています。

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