第6回 上善は水のごとし~大学教授から市中の病院長に転じて
田妻 進(JR広島病院理事長兼病院長 / JA尾道総合病院名誉院長 / 広島大学名誉教授)

※本記事は『病院』83巻6号(2024年6月号)pp499-500を転載(一部改変)しております。病院経営の専門誌『病院』は“よい病院はどうあるべきかを研究する”雑誌です。ぜひ,併せてお読みください!

 

「臨床医が病院長になった日」というテーマでの原稿依頼,実は筆者の適性に些かためらいました。というのも医師としてのキャリアの大半(35年間)を大学病院で過ごしたので,一般的に理解されている“純粋な臨床医”とは異質な趣があって企画の趣旨に符合しないのではないかとの懸念があったからですが,エッセイということですので,自らの足跡を振り返りながら現在までの病院長職における悪戦苦闘(?)の日々をご紹介させていただくことにいたしました。

 

■広島大学からJA尾道総合病院へ
2019年4月,歴史と文学のまち尾道が誇る地域基幹病院・JA尾道総合病院(393床)に病院長として赴任しました。米国留学2年間(1985〜1987年,Cleveland Clinic Foundation消化器科フェロー)を除く39年間を広島市内中心部でのみ診療してきましたので(広島記念病院2年間と広島大学病院37年間),戦火を免れた海辺の風光明媚な街・尾道での勤務は新鮮でした。JA尾道総合病院は尾道在住の皆さまの健康を守る砦であり,その病院長職に従事した4年間は地域住民からの信頼に背中を押される誇り高いものになりました。

 

広島大学在籍37年間は第一内科で消化器領域,特に肝胆膵疾患の診療・教育・研究に従事し,後半15年間は総合内科・総合診療科教授として総合診療・プライマリケアにも関わり,卒後研修センター長(正式名称:臨床実習教育研修センター長)として初期臨床研修や専門医育成など卒後教育へ対応しつつ,病院長補佐,副病院長,医学部長補佐を兼務して病院運営と学部教育にも務めました。その間,広島県内の主な医療機関とはさまざまなお付き合いをする機会に恵まれ,各病院長はじめ幹部の先生方から若手医師まで多くの方々と面識を得ました。したがって,広島県7医療圏域の一つである尾三(尾道市,三原市,世羅町)圏域の中核を担うJA尾道総合病院の在籍医師のなかにも顔見知りが多く,着任時から中堅幹部や若手の医師と親しく付き合うことができました。

 

とはいえ,“院長vs在籍医師”という関係はこちらが思うほど気楽な代物ではなさそうで,辞令交付などでは多少の違和感が相手方にはあったのではないでしょうか。診療の現場でパートナーとして協働する職務と,組織トップとして向き合う空気感は当然ながら別物であり,礼節や共感を大切にして病院運営に努めました。

 

■コロナとの戦い
着任から1年も経たない2020年初頭から世界はコロナ災禍に震撼し日常は一変したわけですが,その対応に役立ったいくつかの取り組みを紹介させていただきます。着任から3カ月経過した2019年7月の広島厚生連理事会で理事長から「病院長(兼理事)としての病院運営方針(特に経営改善)」について所感を求められた際に,「ガバナンスの強化,K点分析に基づく事業計画の策定,ベンチマーク活用による取組評価」を取り組む重要課題として掲げたのですが,大学在籍中に痛感した“組織運営にはガバナンスが生命線”に基づく回答でした。

 

実際にまず診療部長を増員(2→6人),その後に副院長も3人新任させて幹部医師9人体制を整えて,各自に具体的なミッション(診療効率化<入院・外来別>,経費節減,診療報酬加算見直しによる増収対策,医療安全,教育研修,地域連携,DPC係数対策,渉外<地域医師会担当>)を担当してもらいました。この「ガバナンス強化」がコロナという未知との戦を乗り切る組織力の源泉になったと確信しています。院内の意識統一はもとより,周辺医療機関との連携構築も比較的円滑に進み地域を挙げて取り組むことができたことは関係者の一体的な取り組みの賜物と感謝するばかりです。

 

■瀬戸内海の赤ひげ先生
ところで,尾三圏域には医師少数区域として2カ所の離島,尾道市百島と三原市佐木島があります。おのおのに診療所があり,他県から移住して来られた某医師が両方の所長として,“赤ひげ先生”よろしく島民医療を一手に引き受けて,ご自身でヘリコプターやボートを操縦して両島間を飛び回っています。筆者にはまさに「目から鱗が落ちる」出会いでしたが,初期研修医指導にも強い関心と熱意をお持ちでしたので,JA尾道総合病院は診療所での1週間の滞在型研修をお願いしていました。その御仁のご活躍に敬意と感謝を示す一方で,当該圏域の地域医療を守るためには一個人の頑張りに頼るのではなく,当院を含む医療圏域全体の連携による体制構築が必要であると考え,手始めに離島診療支援をJA尾道総合病院が行うことにしました。

 

孤軍奮闘する“赤ひげ所長”の要望により開始した支援ですが,JA尾道総合病院長自らに加えて副院長や名誉院長など病院トップ陣が担当することでわれわれの本気度を示すとともに,若手には負担をかけないスタンスを原則としました。同院幹部たちの“医療人としての完成度”のおかげで島民と和やかなつながりを築けたうえ,この小さな社会貢献で広島県行政から「へき地医療拠点病院」認定の副産物を賜り,同圏域でのプレゼンスと病院運営改善にわずかながら寄与する思いがけない収穫となりました。

 

■そして現在
2023年3月末,定年退職にて名誉院長の栄に浴したのも束の間,同年4月からはJR広島病院(269床)理事長兼病院長に就任し,広島県行政と2030年同地にメガホスピタルを新設するプロジェクトに着手,新たな社会貢献に努めています(※JR広島病院,県立広島病院,中電病院,広島がん高精度放射線治療センターの4施設を統合し,1,000床の新病院を開設する計画)。道のりは平坦ではありませんが,広島の医療に貢献すべく努めています。

 

また,広島大学名誉教授・客員教授として大学院と医学部生の講義,日本病院総合診療医学会理事長として専門医の育成にも微力を尽くしているところです。

 

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“上善は水のごとし”,どこにいてもなにがしかの貢献ができる機会があります。臨床医に始まり教育・研究に時を費やしてきたことが今,病院長としてのあり様に役立っていると実感しています。今後も引き続き最大限かつ身の丈に合った最善を尽くしたいと存じます。

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